2020.11.26_Hippie Modernism

書評:「カウンターカルチャーのその後について」
──Andrew Blauvelt "Hippie Modernism: The Struggle for Utopia" (Walker Art Center, 2015)

Hippie Modernism : 異なる価値観の緊張関係

 本書は2015年にウォーカー・アートセンターで開催された同名の展覧会のカタログである。1960-70年代のヒッピー・カルチャーに関わる300点以上の作品を総覧し、それらを美術史やデザイン史、メディア論、政治思想など様々な角度から検証していくという野心的な展覧会であり、そのカタログである本書もかなり分厚く異様な存在感を放つ。450ページを超える本書には展示された作品のほかに11本のエッセイと8本のインタビューが掲載されており、雑然と並べられた作品の理解を助けてくれる。これらのテキストの助けを借りながら、「ヒッピー・モダニズム」という言葉に紐づけられた作品の数々を見ていくことにする。 

 本展のキュレーターであるアンドリュー・ブラウベルトは、「ヒッピー・モダニズム」というタイトルについて以下のように説明する。

ヒッピーの近代主義〔という言葉〕は、普遍的、永久的、合理的、そして進歩的であると特徴づけられる近代と、それとは反対のカウンターカルチャーが持つ、より局所的、時宜的、感情的、あるいはしばしば不遜で、過激な傾向との間の緊張を表している。ヒッピーの近代主義とは、戦後の文化的近代性に直面した行き詰まりを解決する方途として、一見すれば反対なそれらの価値観同士の瞬間的な和解であったと私は考えている。[*1]

つまり「ヒッピー」と「モダニズム近代主義)」という一見対立する2つの単語を組み合わせることによって、1960-70年代におけるモダニズムカウンターカルチャーという異なる価値観の緊張関係を示しているのである。例えば、モダニズムカウンターカルチャーの価値観には、新しいテクノロジーやメディアを受け入れるという共通点がある。しかし、カウンターカルチャーにおいて、テクノロジーは開発時の意図に関係なく、個人的な目的のために(DIYで)転用されることが多かった。コンピュータであれテレビであれテクノロジーは軍事や大企業に独占されるべきではなく個人が日常生活の中で使うべきものなのだ [*2] 。このように、モダニズムカウンターカルチャーを対置させることによって、カウンターカルチャーのより詳細な特徴が見えてくる。ひいては「ヒッピー・モダニズム」という言葉を用いてモダニズムの諸文化との比較を意識させることによって、公民権運動などの政治的運動に付随するものとして扱われて、取り上げられる機会が少なかった、ヒッピーの文化(芸術)的な生産物に目を向けさせようという意図なのかもしれない。

 本書で紹介されている作品の多くは、対抗的なコンセプトを表現するための(コンセプトに従属した)単なる記号ではなく、検証されるべき特徴的なスタイルや形態を持っている。1970年代以降ヒッピーを取り巻く文化が失速していき、カウンターカルチャー的なスタイルがアメリカの大企業の商品のアイコンとして利用されるようになったという末路 [*3] を考慮に入れた時、(結果的に読み替えられてしまった)作品のコンセプトよりもそのスタイルや形態にこそ目を向けるべきであろう。ただでさえ「ヒッピーの姿は運動にスタイルや分かりやすいアイデンティティーを与えるだけでなく、スタイルそのものを政治的なものにする」[*4] のだから。

Turn On : サイケデリックなアート

 本展は、ドラッグ・カルチャーを広めた心理学者ティモシー・リアリーによるスローガン「Turn on, tune in, drop out.」の3つのフレーズをもとにした3つのパートから成る(このスローガンは「(ドラッグを)キメろ、(世情の理解を)研ぎ澄ませ、(体制に飼われず)やっていけ」というような意味である [*5] )。第1部の「Turn On」では、ドラッグの使用によるトリップやテクノロジーを駆使した類似の体験、サイケデリックな絵画などを通して、知覚の変化や意識の拡張に迫る。第2部の「Tune In」では、当時の社会的な意識を体現していたポスターや雑誌、そのグラフィックデザインなどを展示する。第3部の「Drop Out」では、当時の支配的な体制に対する拒否として行われたコミューンの建設やノマド的な生活スタイルなどを展示する。順を追って代表的な作品を紹介しよう。

 第1部では、ArchigramのドローイングやHaus-Rucker-Coのシェルター、Ira Cohenの映像作品、Isaac Abramsの絵画などが紹介されている。

 Archigramの《Cushicle》は繭のようなシェルターの椅子に座りヘルメットをかぶると人間が機械に接続されるという提案で、それに続く《Enviro-Pill》は物理的な空間を設計しなくても薬を飲んだだけでユーザーの心の中に環境が創造されるという提案である。

Haus-Rucker-Coは伸縮可能なシェルター《Yellow-Heart / Gelbes Hertz》や未来的な形態のヘルメット《Environment Transformer》シリーズを通して、ユーザーに音と光の刺激を与えて、新たな環境体験をもたらした。これは、ウェアラブルテクノロジーの先駆けのような作品である。

Ira Cohenはニューヨークのロフトの一室を改修した《the Mylar Chamber》を舞台に、反射性の高いポリエステルが貼られた壁や天井に歪んで映る被写体に焦点を当てて撮られた幻覚のような映像作品を制作し、本展では、《Ed Cassidy》や《Jimi Hendrix》などの特徴的なシーンが紹介されている。

そして、Isaac Abramsはドラッグ体験を経て鮮やかな色彩で幻覚を誘発する絵画を制作したサイケデリック・アートの代表的な作家で、本展ではサルバドール・ダリとの出会いをきっかけに描かれた《Hello Dali》などが紹介されている。

  ArchigramやHaus-Rucker-Coなど建築家はドラッグのトリップに匹敵するような体験をユーザーにもたらす装置を設計し、Ira Cohenなどの映像作家やIsaac Abramsなどの画家は、写真や絵画の色面に幻覚のような光景を描く。例えば、Isaac Abramsの作品の特徴として「うねるような曲線」や「黄緑系の色彩(アシッドカラー)」などのスタイルが挙げられるが、これらは絵画表現としての特徴であると同時におそらく幻覚の特徴でもある。ここでアーティストの役割は、鑑賞者にトリップを追体験させることなのである。本書に収録されたエッセイの中で、ブラウベルトは「サイケデリックなアートが美術史の中で正当に評価されていない」と繰り返し主張しているが、それはおそらく鑑賞者に働きかける様々な装置なども含んだサイケデリックな芸術的実践の多くが、鮮やかな色彩など分かりやすい特徴の影に隠れてしまっているからだと考えられる。ブラウベルトいわく、サイケデリックなアートはアートマーケットからもアカデミズムからも切り離されたところに存在しており、そもそもアートと日常生活の境界をなくすような実践であった [*6] 。また、サイケデリックな芸術的実践に「トリップス・フェスティバル」などのイベントを含めると、ドラッグによる没入体験を楽しむ演奏者と観客の間の境界線は曖昧になり、その場の体験は参加者全員でつくりあげたものだと言える。しかし、これらの実践はヒッピーのライフスタイルを象徴するものとされながらも、芸術としても政治としても認識されず、どちらの歴史からも疎外されてしまった [*7] 。ヒッピーにとってはライフスタイルそれ自体が芸術的な実践に近いものであったことを忘れてはならない。
(ちなみに、同時期に活動したシチュアシオニスト・インターナショナルやその他いくつかの社会参加型の芸術的実践は、1996年にニコラ・ブリオーがキュレーションした「トラフィック」展で展示され、それ以降の社会参加型の芸術に接続されたと言える。)

Tune In : アンダーグラウンドグラフィックデザイン

 第2部では、Stewart  Brandらが編集した雑誌『Whole Earth Catalog』や、Warren Hinckle IIIらが編集した雑誌『Scanlan's Monthly』、Quentin FioreとJerome Agelがデザインした書籍、Corita Kentの版画ポスターなど、当時の社会的な意識を体現していた雑誌やポスター、そのグラフィックデザインが紹介されている。

 Stewart Brandが編集長を務めた『Whole Earth Catalog』は、あらゆる道具とその使い方や材料、そのために必要な関連知識など膨大な情報が収められた百科事典のようなカタログで、オルタナティブな生活に関連した情報が多かったため、ヒッピーたちのバイブルとして親しまれた。

また、アメリカの体制批判的な月刊誌『Scanlan's Monthly』は、ニクソンの顔面が殴られている様子を描いた衝撃的な表紙などによって注目を集めるとともに、国内の印刷会社からのボイコットを受けて、カナダで印刷して出版されていたという伝説の雑誌で、インパクトの強いグラフィックが特徴的である。

Quentin FioreとJerome Agelは、マーシャル・マクルーハンの『The Medium is the Massage』やバックミンスター・フラーの『I Seem to Be a Verb』をデザインした。マクルーハンのアイデアをテレビや映画のようなテンポでグラフィカルに表現した『The Medium is the Massage』はペーパーバック本のイメージを一新し、フラーの『I Seem to Be a Verb』は本文が上下に二分され天地逆で進むという実験的なデザインで、読者が本を回したり行ったり来たりしながらアニメーションのように読み進めることが意図されていた。

そして、Corita Kentは商業広告や看板などの大衆文化からイメージや言葉を流用したエネルギッシュな表現の版画を数多く制作した。例えば、雑誌『LIFE』のレイアウトを流用した《the cry that will be heard》などは、商業広告がカウンターカルチャーのアイデアを借用するというベクトルをアーティストの側から逆転させたと言える。

 当時は、これらの雑誌やポスター以外にも、反戦運動やスピリチュアルなイベント、オルタナティブな生活の提唱などのために数多くのアンダーグラウンドな広報物がつくられた。それらはプロのデザイナーや高性能の印刷機に頼ることができなかったため、組版の質が低く、イラストや写真のコラージュを多用したアマチュア的デザインの広報物を、安価なリトグラフで印刷することが多かった [*8] 。即興的で荒々しいデザインのアンダーグラウンドな広報物は、結果的にカウンターカルチャーの混沌とした雰囲気を体現していたと言える。おそらくCorita Kentのポスターに近いエネルギッシュなスタイルが、有名無名問わず数多くのアンダーグラウンドな広報物に見られたと考えられる。また、『Whole Earth Catalog』のグラフィックデザインもプロのそれとは程遠いものであった。ノーマン・M・クラインは、『Whole Earth Catalog』のデザインの質の低さを迂回し、レイアウトの特異性を強調して、次のように述べる。「コンテンツをグリッドに縛られず無秩序かつフラットに配置しているため、迷宮的である」[*9] と。読者は数多くの情報が並べられた誌面を迷うように読み進めて、個々人の要求に合わせて情報を取捨選択する。無秩序かつフラットな誌面は大小様々な読者の投稿を受け入れるのに適していたため、熱心な読者は誌面に投稿して情報を制作する立場に回った [*10] 。Stewart Brandは『Whole Earth Catalog』を通して、読者が直接的なコミュニケーションを行うネットワークの構築を目指していたが、それは無秩序かつフラットな誌面のレイアウトによって実現されていたのだ。情報の伝達方法それ自体が意味を持つというマクルーハンの見立てを体現するかのように。

Drop Out : ファンクな建築

 第3部では、Alfred Henry HeinekenとN. John Habrakenによるビール瓶の小屋《WOBO》やAnt Farmによる移動建築のプロジェクト《Media Van》、Clark Richertらが建設したヒッピー・コミューン《Drop City》、Lloyd Kahnによる『Shelter』などが紹介されている。

 醸造会社のAlfred Henry Heinekenの依頼によって建築家N. John Habrakenが設計した《WOBO》は、建築材料として再利用可能なビール瓶を製造し、ビール瓶によって小屋を建設するというプロジェクトである。最終的に、訴訟などを恐れて市場に出回ることはなかったが、Heinekenの庭にビール瓶の小屋が建設された。

Ant Farmはワゴン型トラック車にオーディオ機器やビデオ機器、調理器具、シャワー設備などを搭載した《Media Van》を制作し、そこで生活しながらアメリカ全土を旅するというインスタレーションを行うとともに、廃材などによってトラック車をDIYで改造するためのマニュアル『Inflatocookbook』を発行した。このプロジェクトは当時のアメリカの資本主義体制を象徴する自動車を個人的な目的のために流用するという点で、体制に対して批評的な意味合いを持つ。

Drop City》はClark Richertらによって建設されたヒッピー・コミューンで、フラーの「ジオデシック・ドーム」を参考にして廃材をパッチワーク的に組み合わせることでつくられたカラフルなドームが特徴的である。「Drop City」という名前はClark Richertらが学生時代に考案した「Drop Art」という芸術的実践(歩道で急に物を落として通行人の反応を誘うという活動)にも通じるもので、その名の通りコミューンも数多くの訪問者を引き寄せた。

そして、『Whole Earth Catalog』のシェルター部門の編集者も務めたLloyd Kahnによる『Domebook』やそれに続く『Shelter』は「ジオデシック・ドーム」型の小屋や、環境に配慮した木造の小屋をセルフビルドするためのマニュアルである。

 サイケデリックなアートが美術の歴史から疎外され、アンダーグラウンドグラフィックデザインがプロのデザイナーに認識されなかったのと同じように、廃材でつくられた小屋やドームは建築の歴史において語られることが少なかった。しかし、これらのオルタナティブな建築は、William Chaitkinによって「ファンク」という特徴が与えられて、理論化されている。Chaitkinは、チャールズ・ジェンクスとの共著である『Architecture Today』の中の「Alternative」という章で、先に紹介した小屋やドームのようなアマチュアによってつくられた建築を取り上げて、ファンキーな色彩や木工芸のような表現、遊牧民の家のような造形について言及している。そして、美術史家・Peter Selzが西海岸のベイエリアに見られた美術(特に彫刻など)に対して用いた「ファンク」という概念を引用する。ファンクな美術は、「クールというよりはホットで、散漫というよりは傾倒しており、形式的というよりは奇抜で、官能的で、そして非常に醜くて不格好なことが多い」[*11] と言う。Selzは、ポップアートの滑らかさとファンクの生々しさを、ミニマリズムの還元的なアプローチとファンクの付加的なアプローチを対比して、ファンクな造形物を位置付けた [*12] 。このようなファンクの概念を引用することでChaitkinは、廃棄されたドアや窓のコラージュによってつくられた石畳や、改造された中古トラックのフランケンシュタインのような外観のことを、「funkitecture」(ファンクな建築)と呼んだ [*13] 。ところで、Chaitkinの論考が収録された『Architecture Today』の共著者のジェンクスは、本書が書かれる10年ほど前に、Nathan Silverとの共著で『Adhocism: The Case for Improvisation』という本を出している。本書では、「アドホック ad-hoc」(場当たり的な、即興的な)というテーマのもと、マルセル・デュシャンのレディ・メイド《自転車の車輪》など「即興性」を見出せる数多くの作品が紹介されており、その中には《Drop City》も含まれる。しかし、この本では建築における「即興性」を体現する極端な例の一つとして簡単に紹介されているに過ぎず、スタイルや形態に対する言及は不十分だと言える。そのため『Architecture Today』においてChaitkinがその形態的特徴を「ファンク」と称したことは特筆すべきことである。

There is no alternative : カウンターカルチャーは、もう終わったのか?

 ここまで、ヒッピーを取り巻く文化、特に美術・デザイン・建築について駆け足で紹介してきた。2020年現在から振り返ると遠い昔の出来事のように感じるものもあれば、どこか見慣れているようなものもある。例えば、建築の分野では、サイケデリックな色彩を見ることは少ないが、使い古した木材を内装に使ったり壁紙を引き剥がしたボロボロの躯体を剥き出しにしたりという(ファンクとも言えるような)荒々しいデザインを見ることが増えた。都会から離れた場所で小屋に住むというライフスタイルも一部のメディアを賑わしている。また、1960-70年代のアンダーグラウンドなデザインを彷彿とさせるブランド広告やパッケージを見かけることも多いこれらは形こそ似ているものの、古き良き時代へのノスタルジーか、はたまた、ただの一過性の流行のようにすら思え、かつてのような対抗的な気概は感じられない。もはや、カウンターカルチャーとは呼べないものになっている。それでは、現在に至るまでの間に、ヒッピーの文化はどのように変化したのだろうか。

 1970年代以降にカウンターカルチャーが失速した原因の一つとして、アメリカの経済の悪化が挙げられる。実のところ、当時のコミューン活動の多くは物質的に豊かな白人の中産階級の子供たちによって構成されていたため、先の経済の悪化によって、都市に戻らなければ生計が成り立たなくなったのである [*14] 。また、田舎のコミューンが衰退した反面、都市に復帰し社会的成功をおさめた人たちの中から「BOBO(ブルジョアボヘミアン)」が誕生した。彼らは、オーガニックな食品やDIYを愛好するなど「カウンターカルチャーの時代に重視された、自然や相互扶助を尊ぶスタイル」[*15] をあえて選択した(近年のDIY的な荒々しいインテリアデザインはおそらくこの系譜だろう)。そして、ここから「社会的大義(cause)を消費行動の動機付けの一つとするマーケティング(cause-related marketingという)」[*16] がアメリカで生まれ、カウンターカルチャーのスタイルがアメリカの大企業の商品のアイコンとして利用されるようになるのである [*17] 。

 また、ジョセフ・ヒースとアンドルー・ポターは2004年に『反逆の神話』を著し、「カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか」を皮肉交じりに解き明かした。彼らは、カウンターカルチャーが1970年代以降の消費文化に巻き込まれたというだけではなく、そもそもカウンターカルチャーの持つ「主流社会の拒絶」という性質が1970年代以降の消費文化に見られる「競争的消費」という差異化のゲーム(「人とあえて違うことをせよ」)の駆動力になったのではないかと言う [*18] 。また、カウンターカルチャーにおいては、楽しむことが「究極の体制転覆的な破壊活動」と見なされていたが、そのような快楽主義的な性質こそが消費資本主義を新たに活気づけたのではないかと指摘し [*19] 、体制転覆的だったはずの『アドバスターズ』がナイキとのコラボスニーカーを発表した例を挙げている [*20] 。このような「カウンターカルチャー自体が消費文化を生み出した」という見立てには頷ける部分も多い。しかし、彼らはカウンターカルチャーに逃避せず、既存の政治活動によって具体的な問題解決を図ろうと言うだけで、カウンターカルチャーを再検討する余地は与えてくれない。本当に「この道しかない(there is no alternative)」のだろうか。

The Struggle for Utopia : 体制の欺瞞を暴くために

 マーク・フィッシャーは「資本主義が唯一の存続可能な政治・経済的制度であるのみならず、今やそれに対する論理一貫した代替物を想像することすら不可能だ、という意識が蔓延した状態」[*21] を「資本主義リアリズム」と表現した。フィッシャーは「この道しかない(there is no alternative)」というマーガレット・サッチャーの格言こそ資本主義リアリズムを形容するのに相応しい言葉だとして [*22] 、資本主義リアリズムがどんな抵抗をも無力化してしまう現在の絶望的な状況を嘆くが、ただ嘆くだけではなく資本主義リアリズムの欺瞞を暴こうとした。

資本主義リアリズムを揺るがすことができる唯一の方法は、それを一種の矛盾を孕む擁護不可能なものとして示すこと、つまり、資本主義における見せかけの「現実主義」が実はそれほど現実的ではないということを明らかにすることだ。[*23]

また、フィッシャーは映画『トゥモロー・ワールド』の大英博物館のシーンを概観しながら、文化的な生産物はどんなものであれ資本主義リアリズムに包摂されてしまうと主張する。

ただ保存されるだけの文化はもはや文化でも何でもない。映画に出てきたピカソゲルニカ──かつてはファシズムの残虐行為への苦痛と怒りを叫んだものが、今や壁の装飾品だ──がたどった運命は、その典型だ。(中略)もはやそれを鑑賞する新しい視線なくして、その力を保つことのできる文化的オブジェは存在しない。(中略)文化的実践や儀礼が単なる美学的なオブジェに変容されることによって、かつて各々の文化が信じていたものは、客観的に皮肉られながらアーティファクトと化する。[*24]

 フィッシャーにならえば、1960-70年代のカウンターカルチャーは当時の資本主義体制に抵抗する力を持ち得なかったが、ヒッピーを取り巻く文化の複雑なニュアンスを丁寧に辿ることは体制の欺瞞を暴く手がかりを得るうえで意味を持つと考えられる。その際、本書で紹介された個別具体的な文化的オブジェ(美術・デザイン・建築)を過度に評価して、歴史的な位置付けを与えることは、対象が意味の固定化された美学的なオブジェに変容し、アイコンとして消費される危険性を伴う。そう考えると、私たちがやるべきことはカウンターカルチャーが生み出した文化的なオブジェの価値を再検討するだけではなく、現在の文脈に引き寄せて積極的に新たな意味を見出すことであろう。本書は、体制に対抗しユートピアを実現する闘争のバトンを私たち読者に差し出している。それをどう使うかは私たち次第なのである。

注釈

[*1] 太田知也, 「路上の『メディア・トラック』あるいはポスト・ヒューマンへの轍──『Hippie Modernism: The Struggle for Utopia』展解題」『vanitas 006』, 2019, アダチプレス : p.123-124
[*2] Andrew Blauvelt, 「Preface」『Hippie Modernism』, 2015, Walker Art Center : p.11
[*3] 池田純一, 『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』, 2011, 講談社 : p.105
[*4] Andrew Blauvelt, 「The Barricade and the Dance Floor」『Hippie Modernism』, 2015, Walker Art Center : p.26
[*5] 太田知也, 「路上の『メディア・トラック』あるいはポスト・ヒューマンへの轍──『Hippie Modernism: The Struggle for Utopia』展解題」: p.124
[*6] Andrew Blauvelt, 「The Barricade and the Dance Floor」: p.17-18
[*7] 同上 : p.19
[*8] Lorraine Wild & David Karwan, 「Agency and Urgency: The Medium and Its Message」『Hippie Modernism』, 2015, Walker Art Center : p.46-47
[*9] 同上 : p.50
[*10] 同上 : p.50-51
[*11] Andrew Blauvelt, 「The Barricade and the Dance Floor」: p.20
[*12] 同上 : p.20
[*13] 同上 : p.21
[*14] 池田純一, 『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』 : p.101-103
[*15] 同上 : p.104
[*16] 同上 : p.104
[*17] 同上 : p.105
[*18] ジョセフ・ヒース+アンドルー・ポター, 栗原百代=訳, 『反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』, 2014, NTT出版 : p.149-150
[*19] 同上 : p.15
[*20] 同上 : p.5
[*21] マーク・フィッシャー, セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉=訳, 『資本主義リアリズム』, 2018, 堀之内出版 : p.10
[*22] 同上 : p.24
[*23] 同上 : p.49
[*24] 同上 : p.14-15