2020.11.24_ナンセンス躁病文化

 『文學界 2020年11月号』「総力特集 JAZZ×文学」に載っていた、山下洋輔さんと菊地成孔さんの対談を読んだ。菊地さんが2011年から2018年までTBSラジオでやっていた「菊地成孔の粋な夜電波」というラジオ番組が好きで、(実はリアルタイムで聴いていたのは最後の2年くらいなのだけれど)番組が終わっても、全シーズンの音源がアーカイブされてあるサイトで好きな回を繰り返し聴いたりしている(特にソウルBAR特集はそれぞれ数十回聴いて、前口上を諳んじられるレベルになっている)。菊地さんの師匠にあたる(言わずと知れたジャズ界のレジェンド)山下さんは「粋な夜電波」にも何回か出演されているので二人のやりとりを聴いたことはあったが、今回の対談は、近作に触れたり時事問題に絡めた話題があったりとアップデートされていて新鮮だった。

 特に日本におけるジャズと文学の交差について考えたときに、菊地さんが直接的に交流を持っていた「山下・筒井文化圏」と、その対偶に位置する「村上春樹文化圏」があるという話が印象的だった。「山下・筒井文化圏」は山下洋輔さんと筒井康隆さんの周辺にいる人たち(タモリさんなども含まれる)によるナンセンスなイベントの数々が特徴的で、日本や世界のジャズ史とも文学史とも全く切れたところにあるが、ある種セクト的に色々な人が集まっていたと言う。それに対して、村上春樹さんは「一番正統的に世界のジャズ史と文芸を結びつけた仕事」[*1] をしており、いわゆる正史を語ってきたと言う。そして、菊地さんのカルチャー(特に「粋な夜電波」)は「山下・筒井文化圏と村上春樹文化圏を自分の中でミックスしたもの」[*2] だと言う。

 この二つの文化圏は、日本においてジャズと文学が交差した二大カルチャーだと言えるが、それらには決定的な距離感の違いがあると言う。

 山下・筒井文化圏というのは、フリー・ジャズが小説になり小説がフリー・ジャズになり、構造的に癒着しキメラの状態まで行ってしまった。影響とか引用を超えた、構造的・言語的に癒着した状態だと思う。
 それとは別の形で、ジャズをきちんと、英語の能力を通じて日本で伝えていくムーブメントは、村上春樹さん以上のことは起こらないと思う。(中略)村上春樹さんは現物のジャズに対して愛と敬意があるんですよ。愛と敬意があるというのは、距離感があるということなので。[*3]

 これを知った上で「粋な夜電波」を聴くとまた違うのかな、と。

 ところで、この二人の対談をどこかで読んだなと思ったら、『ユリイカ 2006年4月号』「特集*菊地成孔」に、より”師匠と弟子”感のある対談記事が載っていた。その中で、先ほどの「山下・筒井文化圏」の具体的な活動の一つとして「全日本冷やし中華愛好会」があげられている。タモリさんや赤塚不二夫さんなど数々の著名人を巻き込んで冷やし中華に関するイベントを開催した「全日本冷やし中華愛好会」(通称・全冷中)。詳しくは『空飛ぶ冷し中華』という本にまとまっているが、表紙に書かれた名前を見ると、平岡正明相倉久人赤瀬川原平高平哲郎、、、と、とても豪華で驚く。菊地さんはこの活動を日本における「ナンセンス躁病文化の極致」[*4] だったと振り返っている。

すごい躁病的で、ダンディで、ナンセンスの系譜にもブラックユーモアの系譜にもある。山下さんの活動の初期、左翼運動とフリージャズが密接に結びついていたイメージがあった頃の音源や映像と、「冷やし中華」のころの映像なんかをセットDVDにして売るべきだと思うんです(笑)。[*5]

「粋な夜電波」的な文脈で言うと、川勝正幸さんがバブル崩壊から9.11までの約10年を(自身の鬱と重ねて)「世界のうつ」[*6] と呼んだことを思い出す。今でも「粋な夜電波」を聴くことがあるが、震災直後に始まったこの番組には、ある種「鬱」な時代にどれだけ「ナンセンス躁病文化」的なエッセンスを発露できるかというような意図が感じられて、落ち込んでいる時などに聴くと、謎のカタルシス効果がある(笑)。今年など特に世界的に鬱なトーンだったので、「ナンセンス躁病文化」的なエッセンスが欲しくなりますね。

注釈

*1:山下洋輔, 菊地成孔,『文學界 2020年11月号』, 2020, 文藝春秋 : p.44
*2:同上 : p.47
*3:同上 : p.52
*4:山下洋輔, 菊地成孔,「花火を上げろ!」『ユリイカ 2006年4月号』, 2006, 青土社 : p.83
*5:同上 : p.83
*6:川勝正幸,『21世紀のポップ中毒者』, 2013, 河出書房新社 : p.6