2020.11.13_文化は人を窒息させる

書評:「文化的芸術への侵入言論」
──ジャン・デュビュッフェ『文化は人を窒息させる』(人文書院, 2020)

アール・ブリュットという「別の芸術」

 本書は、「アンフォルメル」[*1] の先駆者であるとともに「アール・ブリュット」の名付け親としても知られるフランスの画家、ジャン・デュビュッフェの初の邦訳書である。デュビュッフェは、画家として自身の制作を行うかたわらで、精神科医ハンス・プリンツホルンによる『精神病者の芸術性』を手がかりに、精神病院や刑務所などを頻繁に訪れ、幻視者や精神障がい者の作品を蒐集した。そして、彼らの表現は「自分自身の衝動からのみはじめて、完全に純粋で生の芸術的行為」[*2] であるとして「アール・ブリュット(=生の芸術)」という概念を提唱した。昨今の日本においては知的障がい者によるアートに対して使われることが多いが、デュビュッフェによる定義はより広い範囲を対象としている。

狂人の芸術だけではなく、より広い意味で通常の美術界とは無縁の人たち、現代の芸術表現について知識の乏しい人たち、あるいはそこから意図的に距離を置いている人たちによる創作物を対象とする [*3]

この定義から、デュビュッフェにとっては、「幻視者や精神障がい者による表現」であるというその特殊性よりも、それらの作品が旧来の美術界や制度を相対化して、価値体系を揺るがすという、反文化的な側面にこそ着目していたことが分かる。アール・ブリュットとは「西洋近代芸術の限界や隘路を打ち破る革命的な概念」[*4] として構想されていたのだ。

 このように、アール・ブリュットはそれまでの西洋の近代芸術とは異なる(近代芸術に対抗する)「別の芸術」であり、知的障がい者によるアートを評価することだけにとどまらない、射程の長い概念である。本書では、このような前提の下で(アール・ブリュットによって相対化されることになる)西洋の近代芸術(=「文化的芸術」)に対して、デュビュッフェが徹底的な批判を行う。また、支配的な文化体制に飼い慣らされないためには個人主義を貫くべきだと強く主張する。そして「文化的芸術」という制度から脱したところにある芸術の根源を求めて、その制度を支える文化人に対して文化への異議申し立てをするように呼びかける。奇しくも世界的な反乱の季節と重なる1968年に書かれたこのラディカルな提言は、ところどころ古めかしいと感じる部分もあるが、現代においても新鮮な議論を提供してくれるだろう。

「文化的芸術」への批判

 本書で、デュビュッフェは終始一貫して、制度的な「文化」という概念を批判する。例えば、文化という制度を支える文化人たちは、過去に権威ある存在が認めたものしか評価しようとせず、自分たちが触れることのない数多くの芸術作品や思想には見向きもしないと言う。

文化の顕彰者は、世の中には多くの人々が存在していることや思想も限りなく生産されていることを十分考慮しない。(中略)彼らの頭にあるのは本を書くきわめて限られた数の人たちであり、本を書かなくて図書館で探しても見つからない思想の持ち主は彼らの頭にない。文化は書物であり絵画であり記念建造物であるという西洋の思想は幼稚としか言いようがない。(本書 : p.20)

また、文化が権威的なものによる選別を前提にしている以上、文化は創造的な行為と本質的に矛盾するものだと言う。

文化の特質はなんらかの作品に強い光を当て、他のすべての作品を闇に葬ることを厭わずに、その作品のために光を寄せ集めることである。そのため、こうして優遇された作品生産と無関係なあらゆる創造的意志は窒息して死滅してしまう(中略)文化は創造に対して本質的に排除的であり、したがって創造を貧弱にするものである。(本書 : p.15-16)

つまり、文化は文化人の地位や名誉を保持するだけではなく、芸術家の創造行為を選別したり、良しとされている文化への迎合を促したり、芸術作品の鑑賞者に固定的な見方を(無意識のうちに)強要したりするのである。このように、支配的な文化によって芸術家や鑑賞者などがある方向に誘導されることをデュビュッフェは「文化的プロパガンダ」と呼んで批判し、その影響によって多くの芸術家と鑑賞者は、芸術作品そのものよりも作品を広く伝達し文化の中に位置付けるのに役立つ「宣伝広告」に重きを置いているのではないかと指摘する。

公衆は芸術創造に敬意を表するのではなくて、一部の芸術家たちが恩恵を受ける宣伝広告の威光に敬意を表するように誘われているのだ。その結果、公衆は作品そのものに興味を持つのではなくて、作品を伝達する宣伝広告に興味を持つのである。(本書 : p.30-31)
芸術家もまた、宣伝広告が作品の中身よりも優位にあると考えるように導かれている。そして彼らは、できあがった作品の性質に従って宣伝広告をするのではなくて、作品を制作している最中に作品そのものよりも宣伝広告を優先的に考えるように導かれている。(本書 : p.31)

このようにデュビュッフェは「文化的芸術」(文化的プロパガンダの影響を受けた芸術)の負の側面をいろいろな角度から指摘することで、その根底にある社会的権力や社会体制に対しても疑問を投げかけていると言える。

現代における「文化的芸術」

 デュビュッフェはある種当たり前のように受容されていた「文化的芸術」を改めて議論の俎上に載せて、文化的芸術が抱える構造的な問題を暴き出そうとした。このような議論には頷ける部分が多く、支配的な文化的芸術以外の「別の芸術」があってもいいのではないかと素直に思うが、ここでふと、デュビュッフェが批判する文化的芸術のような制度は、今もなお形を変えて残っているように思われる。

 2013年に書かれ、つい最近邦訳された『ラディカル・ミュゼオロジー』の中で、美術史家・批評家のクレア・ビショップは、近代から現代に至るまでの美術館像の変容を「エリート文化の貴族的機関としての十九世紀型美術館モデルから、レジャーやエンターテインメントの大衆的神殿としての現在の美術館像への移行」[*5] と表現した。ここで言うところの「エリート文化の貴族的機関」は、まさにデュビュッフェの批判する制度的な「文化」に相当するものである。そう考えると「レジャーやエンターテインメントの大衆的神殿としての現在の美術館像への移行」に伴い、かつて文化的芸術が持っていた権威のようなものは多少薄れたとしても、美術マーケットとして利益をあげようとする投機的な思惑によって、再び文化的芸術のような制度が確立されていると言えないだろうか。文字通り「宣伝広告」のようなものが重要な位置を占めることになるのだ。ビショップが先ほどのように言うときには「レジャーやエンターテインメントの大衆的神殿としての現在の美術館」を批判しているわけではないが(このような現象を一度肯定的に受け止めたうえで新しい美術館の可能性を見出そうとしている)、デュビュッフェの論理で考えるとこれは危惧するべき状況だと言える。

 それでは、社会的な状況が変化しても逃れることのできない文化的芸術からどのように距離をとるのか。そこで重要になるのが「個人主義」である。

文化に飼い慣らされないための「個人主義

 デュビュッフェは「私は個人主義者である」と言い、個人の利益と社会の利益は本質的に対立するとしたうえで、個人主義が守られている社会は健全であると繰り返し主張する。

国家的理由と健全で活力のある個人主義との対立は、社会という海を内部から活性化するうねりをもたらす。(中略)一方で集団に激しく対立し、他方で集団を構成する一員として集団の利害に参与するという、この個人の二重性は、誰にとっても絶えず困惑をもたらすとともに、思想を変質させる元になる。(本書 : p.50-51)

ここでデュビュッフェは、政治的なアナロジーとして「国家的理由」という言葉を使っているが、つまるところ社会で支配的な文化と個人主義との間に生じる対立に可能性を見出している。そして、社会や文化と個人主義の対立が見られる局面の一つとして「病気」の例をあげている。

集団によって回収不可能とされた多くの人々(その「異常」とされる行動とその起源が多様で種々雑多な人々)のなかの相当数の人々の「病気」は、ひとえに社会的なもの、ひいては文化に対する異議申し立てが単に極端になったもの、つまり個人主義が激化したものではないか(本書 : p.94)

デュビュッフェがアール・ブリュットの提唱者であることを鑑みれば、このような指摘から、ある種「病気」を抱える幻視者や精神障がい者個人主義を貫き、自らの内的必然性に従って芸術作品を制作することが、社会や文化に対する批評的な機能を持ち得るという可能性を読み取ることができる。つまり、作家が個人主義を貫いて芸術作品を制作することは、社会で支配的な文化に飼い慣らされないための方法の一つとして有効なのではないかと考えられる。そして、これは結果的に文化的芸術から距離をとったところで成り立つ芸術だと言える。

 ここで一つ注意したいのは、個人主義を取り巻く状況の変化に伴う、個人主義の負の側面である。本書が書かれた1968年において個人主義というのは1960年代的なラディカリズムを象徴する考え方の一つだったと思われるが、現在の新自由主義下において個人主義という考え方は、個々人の自己責任を強調することで社会が公的責任を回避する方便になりかねない。このような意味での個人主義は、個々人の間の格差を助長する。「一方で集団に激しく対立し、他方で集団を構成する一員として集団の利害に参与するという、この個人の二重性」が大事だとデュビュッフェは主張したが、そもそも「集団を構成する一員として集団の利害に参与する」権利を奪われてしまったら「集団に激しく対立」することもできなくなってしまう。

 また、先ほど「病気」の例をあげたが、新自由主義下においては「病気」すらも個々人の自己責任として処理されてしまう。マーク・フィッシャーが『資本主義リアリズム』で指摘するように「精神障害を個人の化学的・生物学的問題とみなすことで、資本主義は莫大な利点を得る」[*6] ような社会においては、「あなたが病気なのはあなたの脳内にある化学物質のせいです」[*7] という論理で薬での治療が推奨されて(薬の開発で市場が潤い)、精神障害は個人の資質に還元されてしまう。そうなると、精神障害がある面では個人と社会との摩擦によって生じているということが見えにくくなる。そのように考えると、幻視者や精神障がい者の「病気」を個人主義の激化として称揚することは「病気」を個々人の自己責任として処理する危険性と紙一重である。

 このように、デュビュッフェによって1968年に書かれた提言が、現在別の大きなイデオロギーに呑み込まれかけていることへの注意を呼びかけたが、それでもなおデュビュッフェの議論には有効な部分が多い。デュビュッフェが個人主義を主張し、「一方で集団に激しく対立し、他方で集団を構成する一員として集団の利害に参与する」という二重的立場を目指したことは、既成の美術界を批判するとともに、美術界で評価される画家としても活動していたことと重なる。最後に、デュビュッフェの二重的立場と、それによって可能になる「侵入言論」について考える。

文化人への「侵入言論」

 本書の訳者である杉村昌昭さんは「訳者あとがき」の中でデュビュッフェの抱えていた自己矛盾について言及している。

いま私は、デュビュッフェの「自己矛盾」と記したが、それはもちろん主に、デュビュッフェが「アール・ブリュット」の命名者である一方、自身は「アール・ブリュット」の作家ではなく、一般に彼が批判している「文化的芸術」に連なる作家として位置づけられているという、彼の二重的立場に由来する。(本書 : p.133)

このような二重的立場は、本書の書き方においても見られる。これまで本稿で引用した部分を読めば分かると思うが、デュビュッフェのテキストは挑発的ではあるものの、硬派なレトリックに満ちている。反体制的な意味を持つテキストにしては、いささか行儀が良すぎるように思われる。なぜこのような書き方なのだろうか。それは文化人の言葉づかいに合わせるためである。

文化をじかに経験した者は文化を拒否しなくてはならない。だから私はここで教養ある人々に彼らの言葉で話しかけているのである。彼らに耳を傾けてもらうために、私は彼らの司法書司的言葉づかいを一貫して用いてきた。文化に対して異議申し立てする者、明確な敵対者が登場するのは、彼らのなかから、すなわち文化と身近に接し自らも文化を実践した者——それゆえ文化をよく知っていて文化に対して武装することができる者——のなかからである。(本書 : p.112)

デュビュッフェは、文化的芸術を批判して反文化的な立場をとりながらも、文化的芸術を支える文化人が好みそうな言葉づかいをあえて用いることで、彼らに直接語りかけようとする。そして、「文化と身近に接し自らも文化を実践した者」こそが本当の意味で文化に影響を与えることができるとして、彼らに対して文化への異議申し立てをするように呼びかける。このように、自分とは異なる立場の人々を頭ごなしに否定して遠ざけるのではなく、自分の立場を危険に晒してでも相手の立場に侵入して語りかけるような話し方は、伊藤昌亮さんが提唱する「侵入言論」を思い出させる。

 「シアターコモンズ'20」のシンポジウム「コモンズ・フォーラム 芸術と社会」[*8] において「あいちトリエンナーレ2019」の炎上や電凸事件を踏まえて、その要因の一つであるネット右派について議論した流れで、『ネット右派の歴史社会学』の著者である伊藤昌亮さんが「ネット右派の立場に入り込んで語りかけるような言論を行い、相手の思考を組み替えることはできないか」というような発言をされていた。対抗する言論だけではなく侵入する言論も大事なのではないかと。ここで提示された「侵入言論」というアプローチはデュビュッフェの言葉づかいにも通ずるものである。これは、今日においても、異なる立場の人々に粘り強く語りかけるためのアプローチとして有効だと考えられる。

 デュビュッフェが本書を通して批判し続けた文化的芸術は、2020年現在においても未だに強い影響力を持っている。今年の夏に開催される予定だったオリンピックとパラリンピックに向けて街中を賑わせたアール・ブリュットのポスターの数々を見れば、文化的芸術から距離をとるための方法の一つであったアール・ブリュットさえも文化的芸術に呑み込まれて消費されていると言わざるを得ない。文化体制を転覆しようとする動きさえも文化に吸収されてしまうようなこの時代に、デュビュッフェが残した提言は多くの示唆を与えてくれる。文化的芸術の弊害を明るみに出す灯火を消してはならない。

注釈

[*1] アンフォルメル第二次世界大戦後、フランスを中心にヨーロッパで興った非定形(informel)を志向した前衛芸術運動で、主に芸術家の行為性や画面の物質性を強調した絵画作品のことを指す。キュレーター/コレクターのミシェル・タピエによって提唱され、日本でもタピエの来日とともに「アンフォルメル旋風」がメディアを賑わせた。
(参考文献:ブリヂストン美術館編, 『アンフォルメルとは何か? 20世紀フランス絵画の挑戦』, 2011, ブリヂストン美術館
[*2] 福住廉, 「クリティカルとキュレイトリアル」『アウトサイド・ジャパン』, 2018, イースト・プレス : p.167(原典 : Jean Dubuffet, "L'art brut préféré aux arts culturels", 1949, Galerie René Drouin)
[*3] 服部正, 「アール・ブリュットの体現者としてのアドルフ・ヴェルフリ」『アドルフ・ヴェルフリ二萬五千頁の王国』, 2017, 国書刊行会 : p.195
[*4] 福住廉, 「クリティカルとキュレイトリアル」『アウトサイド・ジャパン』, 2018, イースト・プレス : p.167
[*5] クレア・ビショップ, 村田大輔=訳, 『ラディカル・ミュゼオロジー』, 2020, 月曜社 : p.9
[*6] マーク・フィッシャー, セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉=訳, 『資本主義リアリズム』, 2018, 堀之内出版 : p.98
[*7] 同上 : p.98
[*8] 2020年2月29日に開催され、オンラインで配信された。伊藤昌亮さんのほかには藤井光さんや相馬千秋さん、藤田直哉さんが登壇し、社会の分断を乗り越えるための芸術の可能性をテーマに、ソーシャリー・エンゲイジド・アートやアート・アクティヴィズムの実践の実効性や限界を巡って、様々な方向に議論が展開された。