2020.11.03_ゆっくり、いそげ

 これまで一緒に小屋をつくったりしてきた友達と「いつかお店を構えたいね」という話をしている。昔から「いつか本屋をやりたい」と思っていて、好きな本屋に行くたびに自分の本屋の選書を妄想している。あるイベントで期間限定の古本屋のようなことをやったこともある。その時は、COWBOOKSの松浦弥太郎さんへのリスペクトを込めて『本業失格』やレイモンド・マンゴーの『就職しないで生きるには』、元UTRECHTの江口宏志さんへの憧れから『ハンドブック』などを選書した。という感じで、とにかく憧れは尽きないのだけれど、実際に始めるとなると憧れだけではできないだろうなということで、お店をやる際の心構え的な意味で先人の知恵を借りようと思い、参考になりそうな本を読んでいる。

 そのような意味で、クルミドコーヒーのオーナーである影山知明さんの『ゆっくり、いそげ カフェからはじめる人を手段化しない経済』(大和書房, 2015)には、目からウロコのアイデアがいろいろと書かれていた。

 例えば、お客さんの「消費者的な人格」を刺激しないためにポイントカードをやめたと言う(p.47)。「消費者的な人格」というのは、自己の利益を最大化させるためにできるだけ安く済ませたい(あるいは多く手に入れたい)というスイッチが入ってしまった状態のことで、ポイントカードなどをつくると、お客さんとお店がお互いに「消費者的な人格」になって、自己の利益を最大化させるために行動選択する交換のメカニズムに組み込まれてしまうと言う(p.48)。これに対して、影山さんは「受贈者(贈り物を受け取った人)的な人格」(p.54)を新たに提案している。

人はいい「贈り物」を受け取ったとき、「ああ、いいものを受け取っちゃったな。もらったもの以上のもので、なんとかお返ししたいな」と考える人格をも秘めている(と思う)。(p.54)

素敵な贈り物をもらった時に、もらった以上のものでお返しをしたいと思う気持ちをベースにした考え方である。僕自身も陶芸をやっている後輩から僕のイメージに合うお皿をもらい、お金はいらないと言われたけれど嬉しすぎて手持ちのお金を全て払ったことがあるのだけれど、今までにないくらい気持ちよくお金を払っていたと思う。まさに「受贈者的な人格」が引き出されていたのだ。

 また、お客さんとお店との間のやりとりに限らず、お店の中での人間関係においても「受贈者的な人格」を引き出すためには、人を「利用価値」で判断するのをやめるべきだと言う。

ついつい「利用価値」で人間関係を判断してしまうのだ。そしてその判断基準はやがて友人関係にまで及ぶ。(中略)相手に利用価値を求めるということは、自分も利用価値を求められるということ。(p.106-107)

グループでの制作において、知らず知らずのうちにメンバーを利用価値で判断してしまったために気まずくなってしまった時のことが思い出されて恥ずかしくなった。お互いに利用価値で判断しないで済むように、そもそも個人の資質に依存せず、グループの関係性の中から自然とアウトプットが生まれるような仕組みを模索したいなと思った。

 「ボランティア三原則」(自発性・公共性・無償性)は会社のような組織にも当てはまるのかをクルミドコーヒーでの実践をベースに検証するくだりも印象に残っている。

多くの人は、少なくともその当初の段階においては、その会社/組織で働くことを自発的な意思で選んでいるはずだ。そして仕事のほとんどは、「誰か別の人(お客さん)のために」という利他性(公共性)を備えている。(中略)会社がボランティア三原則を満たすケースもあり得るように思える。(中略)だが実際には、多くの会社はそうではないだろう。社員が「出勤せずに済むのならできるだけ出勤したくない」と考えているとするなら、その人にとって働くことは残念ながらもう自発意思に基づくものとは言い難い。(p.140-141)

これは、今まで半分遊びとしてやってきたイベントの運営などにお金が絡んできた時に「ボランティア三原則」的な気持ちがだんだんと薄れて、お互いに強制するような関係になってしまうのを避けるためのヒントのように思う。「ボランティア三原則」的な気持ちで仕事を続けるのは難しいことだと思うけれど、ライフワーク的な性格を帯びた友達とのお店はこのような気持ちで始め、続けたいと思う。

 ところで、「友達経済」という考え方がある。これは、さのかずやさんの「納入フレンドと納入経済、ポジティブ不足の生存戦略について」というnoteの記事で読んだのだけれど、要するに友達で集まってアウトプットして、徐々に経済圏を大きくしていくようなやり方のこと。僕が今までやってきた活動はこれに近いと思うのだけれど、さのさんの言うように、何でも分かり合えるという前提の「友達経済」だと距離感的に近すぎるというのもよく分かる。

「この人たちならこういうこと言える」という安心感は、「この人たちにはこういうことしか言えない(言ってはならない)」という不安感と表裏一体のものでもある。

「この人たちと分かりあえる」という安心感は、「この人たちと分かりあえなくなることはない(分かり合わなければならない)」という圧迫感と表裏一体のものでもある。

さのさんは「友達経済」に代わるものとして、業務上の取引をする相手としての良好な関係=「納入フレンド」との間に成り立つ「納入経済」を提案している。この関係でも仲良くなっちゃったら、それが本当の友達なのでは?という話にも納得する。そう考えると、お互いに各々の活動をやりつつも「納入経済」的なゆるい連帯をして、外面としてはお店のような形態になっているというやり方が良いのかもしれない。ああでもないこうでもないと言っても机上の話なので、実際にあれこれやりながら検討していきたい。