2020.11.02_素手のふるまい

 建築や美術において、制度の外側にある在野の実践や、素人の創造性に興味がある。例えば、新進気鋭の建築家が設計したどんな住宅よりも石山修武さんが『バラック浄土』で取り上げたようなセルフビルドの狂人たちのブリコラージュ的な住宅に惹かれるし、アール・ブリュットを提唱したジャン・デュビュッフェや「いろもん美術評論家」を名乗る福住廉さんの制度批判的なテキストに惹かれる。そのような意味で、鷲田清一さんの『素手のふるまい:アートがさぐる〈未知の社会性〉』(朝日新聞出版, 2016)は、とても興味深い本だった。(以下、書評の形式でまとめて下書き保存したままだったものを掲載する。)

「アート」と「社会」を捉え直す

 副題にもあるように、「アート」と「社会」について書かれた本である。とはいえ本書の狙いは「社会参加型のアート」や「アートによる町おこし」を紹介することではなく「アート」と「社会」という概念の意味を捉え直すことである。著者は、およそ東日本大震災以降、被災地の支援としてワークショップを行うなど地域に関わるアーティストが増えたことを背景にして、新しいタイプの芸術的実践が生まれていることに気づいたと言う。それは、「個人のアーティスティックな『才』を発揚する」(p.11)というよりも、「イヴェントごとにアーティストとノン・アーティストの境界すら取っ払った弛いグループを構成」(p.11)するようなある種社会的なアートである。西洋近代的なアートに対して周縁に位置してきた社会的なアートが近年注目を集めているが、アーティストにそのような作品を制作させる動機はどこにあるのだろうか。本書では、せんだいメディアテークの館長も務める著者が震災後の東北地方で活動する小森瀬尾(小森はるかさんと瀬尾夏美さん)や志賀理江子さんなどの生活と地続きのところで活動するアーティストの言動を手がかりに、彼女たちが「社会的」と呼べるような作品の制作に駆り立てられる様子に迫る。そして、既存のアートワールドにあえて乗らないようなやり方で作品を制作するアーティストの実践を通して、所与のものだと思っていた「アート」と「社会」という概念への認識が揺らぐのである。

伝えるための技法としての「アート」

 小森はるかさんと瀬尾夏美さんは震災後の東北地方で活動を始めた2人組のアーティストである。彼女たちは2012年に岩手県気仙郡住田町へ移住し、被災地の住人としてアートとは関係のない仕事をやりながら、現地の記録と報告を始めた。復旧作業を手伝うかたわらで被災者の話を聴き、それを映像として記録して、東京で報告会を開いた。芸術大学で学びながら表現というよりも純粋な記録に近い映像を撮影し続けていたが、このような活動を数年続けるうちに彼女たちはある種の限界を感じた。「『報告』という言葉ではもうだめで、もう一個アップして『表現』にまでもち上げないと、たぶん見てもらえないし伝わらないだろう」(p.54)と。そして、「『表現』という行為はほんとうに表象(イメージやオブジェ)として作品をつくることなのか」(p.55)と考え、被災地で目の当たりにしたことを(純粋な記録と報告を超えた広がりを持って)伝えるための技法として、自分たちの「表現」を探り当てようとするのである。「被災地の住人ではあるが被災者ではない」という葛藤を抱えたまま、「その出来事から遠く隔たった場所にいる人に、その出来事に向かうわたし越しに出来事を見てもらう、そんな媒介者のような役割を表現と考えてみたい」(p.57)と。被災地の支援が念頭に置かれたワークショップのように社会的なアートはしばしばその効果に重きを置いて語られがちであるが、彼女たちの作品は自身の置かれた境遇やパーソナルな動機が「社会」との関係を駆り立てることで制作された。そのダイナミズムに心を動かされる。

アート未満の活動によって立ち上がる「社会」

 著者は、「じぶんの活動がアート(もしくは、アートの否定)へと最終的に納得できるかたちで着地することをめがけすらしないで、しかしもう走りだしている活動、アート未満の活動」(p.38)に可能性を見出す。被災地に移住して記録と報告を行うことから自身の表現を素手で探り当てようとした小森瀬尾のような活動こそが、ある種のアートとしての表現の強度を持つ。これは川俣正が「アートレス」という言葉によって「つねにその場で起こる実際の物事を通してでしか答えられない事柄の中に、アートの、あるいはそうでないものの新たな関係を組み立てること」(p.13)を目指し、サイト・スペシフィックな作品を生み出したことにも通じる。このようなアート未満の活動は、アートに関心があるわけではない人々まで巻き込んで、ある種の擬似的な社会をつくる。著者は、アートが「たがいに差異を深く内蔵したまま、ゆるやかではあるがけっして脆くはない紐帯をかたちづくる」(p.30)という〈未知の社会性〉に希望を見出すのである。本書では「社会」という言葉が所与のものとして用いられることは少なく、カギカッコ付きの状態で繰り返し登場する。本来ならアートと対極にある普通の生活や普通の人々の中から生まれた、しかし「アート」と呼ぶしかないような実践によりつくられる共同体は、関わった人々を決して排除することのない「社会」である。そこでは、アーティストとノン・アーティストの区別はない。アート未満の活動によって立ち上がる「社会」は参加者に別の現実空間を提供するのだ。

2020.11.01_やりたいときにやる

 「『やりたいときにやる』みたいな名前の雑誌を創刊して、やりたいときにだけやりたいな」とふと思ったのだけれど、やりたくなるのを待っていると一生やらなそうなので、とりあえず日記を始めようと思います。今まで幾度となく雑誌をつくろうとしてきたのですが、毎回企画書を書いたところで力尽きてしまい、しばらくして似たような企画を雑誌などで目にして「ほら、やっぱりね」とほくそ笑むみたいなパターンを繰り返してきたのですが、アウトプットしまくっている友達とかを見るにつけ、何かしら外に出した方が良いなと思うようになりました。

 坂口恭平さんが『自分の薬をつくる』(晶文社, 2020)の中で、「企画書を書くという薬」という話をしています。そもそも「自分の薬をつくる」というのは、簡単に言うと、自分の日課をつくると精神衛生的に調子が良くなるという話で、例えば坂口さんは鬱がひどかった時に、閃きによって創作活動(執筆・絵画 etc.)をしようとせず、毎日のノルマを決めて習慣化したら、日課が作品を生んでいるみたいな良いループに入って、精神状態の起伏もなくなってきたと言う。そのような意味で、体調を整えたり、自分の不自由な身体を制御したりする役割がある行為全般を「薬」と呼んでいるのですが、「企画書を書く」こともその一つです。気まぐれな性格だと、何か思いついたらそれを行動に移したくてうずうずするけれども、かといって、実際に周囲の人を巻き込んで行動を起こしたら、すぐに飽きてしまうということが多々あって、毎回モヤモヤします。そのような状況に対して、坂口さんは「絶対に実行しないための企画書」を書きましょうという話をしていて、実際にやらなくても、やるつもりで真剣に企画書を書いてみると、アウトプットしてスッキリするし、思いつきでやってしまった時のトラブルや金銭的な浪費を事前に回避することができて、なんならいずれ時が来たら実行に移すことができるので、良いよねということで、なるほどと思いました。

 そう思うと、企画書を書いたけれど実現しなかった雑誌というのは、精神衛生的には良いものだったと言えるかもしれませんが、そうは言っても形になっていません。雑誌に限らず、建築学科にいるということもあり、何かモノをつくろう、イベントをやろうということが多々あるのですが、今まで友達とやってきたプロジェクトを思い返すと、何かアイデアが思いついてテンションが持続している(飽きない)うちに完成させるという短いスパンのものが多く、実はかなりギリギリのところで成り立っていたのだなと気づきました。「やりたいときにやる」を文字通り実践すると気分に左右されてしまうので、「やりたいときにやる」ためには日頃から企画書を書き続けるべきなのでは?と思って、そういう意味で日記を書こうと思い立ちました。

 思えば「やりたいときにやる」というフレーズは、友達と「制作できなくなる」ことについて話していたときに、どちらからともなく発したものです。僕自身、大学の課題をやっていた時に気分が悪くて寝込んでしまうことがあったのですが、精神的な面でも身体的な面でも、調子が悪くなって制作できなくなることは誰にでもあることだと思います。これまた、坂口さんが『自分の薬をつくる』の中で、鬱がひどかった時に文章を書くことで自分の精神状態を落ち着かせていた(落ち込んで、悩みで混沌とした頭の中を整理する上でも文章を書くことが役に立った)という話をしていますが、書くことやものをつくることが精神衛生を保つことにつながると考えれば、制作できない状態から再び制作を始めるきっかけが大事だと思います。そこで「制作できなくなる」可能性をあらかじめ想定して、復活するきっかけを与え合うことができるような制作のグループをつくりたいなと思っています。(これは今どうやって運営していくか検討中です。)

 と、話が少し逸れましたが、適度なアウトプットの感覚により精神衛生を保ちつつ、「やりたいときにやる」ための準備にもなる「企画書」として、日記を書くことを続けていきたいと思います。思いつくままに書いているうちに、リアリティが増してきたものから実行に移したいと思います。