2020.11.01_やりたいときにやる

 「『やりたいときにやる』みたいな名前の雑誌を創刊して、やりたいときにだけやりたいな」とふと思ったのだけれど、やりたくなるのを待っていると一生やらなそうなので、とりあえず日記を始めようと思います。今まで幾度となく雑誌をつくろうとしてきたのですが、毎回企画書を書いたところで力尽きてしまい、しばらくして似たような企画を雑誌などで目にして「ほら、やっぱりね」とほくそ笑むみたいなパターンを繰り返してきたのですが、アウトプットしまくっている友達とかを見るにつけ、何かしら外に出した方が良いなと思うようになりました。

 坂口恭平さんが『自分の薬をつくる』(晶文社, 2020)の中で、「企画書を書くという薬」という話をしています。そもそも「自分の薬をつくる」というのは、簡単に言うと、自分の日課をつくると精神衛生的に調子が良くなるという話で、例えば坂口さんは鬱がひどかった時に、閃きによって創作活動(執筆・絵画 etc.)をしようとせず、毎日のノルマを決めて習慣化したら、日課が作品を生んでいるみたいな良いループに入って、精神状態の起伏もなくなってきたと言う。そのような意味で、体調を整えたり、自分の不自由な身体を制御したりする役割がある行為全般を「薬」と呼んでいるのですが、「企画書を書く」こともその一つです。気まぐれな性格だと、何か思いついたらそれを行動に移したくてうずうずするけれども、かといって、実際に周囲の人を巻き込んで行動を起こしたら、すぐに飽きてしまうということが多々あって、毎回モヤモヤします。そのような状況に対して、坂口さんは「絶対に実行しないための企画書」を書きましょうという話をしていて、実際にやらなくても、やるつもりで真剣に企画書を書いてみると、アウトプットしてスッキリするし、思いつきでやってしまった時のトラブルや金銭的な浪費を事前に回避することができて、なんならいずれ時が来たら実行に移すことができるので、良いよねということで、なるほどと思いました。

 そう思うと、企画書を書いたけれど実現しなかった雑誌というのは、精神衛生的には良いものだったと言えるかもしれませんが、そうは言っても形になっていません。雑誌に限らず、建築学科にいるということもあり、何かモノをつくろう、イベントをやろうということが多々あるのですが、今まで友達とやってきたプロジェクトを思い返すと、何かアイデアが思いついてテンションが持続している(飽きない)うちに完成させるという短いスパンのものが多く、実はかなりギリギリのところで成り立っていたのだなと気づきました。「やりたいときにやる」を文字通り実践すると気分に左右されてしまうので、「やりたいときにやる」ためには日頃から企画書を書き続けるべきなのでは?と思って、そういう意味で日記を書こうと思い立ちました。

 思えば「やりたいときにやる」というフレーズは、友達と「制作できなくなる」ことについて話していたときに、どちらからともなく発したものです。僕自身、大学の課題をやっていた時に気分が悪くて寝込んでしまうことがあったのですが、精神的な面でも身体的な面でも、調子が悪くなって制作できなくなることは誰にでもあることだと思います。これまた、坂口さんが『自分の薬をつくる』の中で、鬱がひどかった時に文章を書くことで自分の精神状態を落ち着かせていた(落ち込んで、悩みで混沌とした頭の中を整理する上でも文章を書くことが役に立った)という話をしていますが、書くことやものをつくることが精神衛生を保つことにつながると考えれば、制作できない状態から再び制作を始めるきっかけが大事だと思います。そこで「制作できなくなる」可能性をあらかじめ想定して、復活するきっかけを与え合うことができるような制作のグループをつくりたいなと思っています。(これは今どうやって運営していくか検討中です。)

 と、話が少し逸れましたが、適度なアウトプットの感覚により精神衛生を保ちつつ、「やりたいときにやる」ための準備にもなる「企画書」として、日記を書くことを続けていきたいと思います。思いつくままに書いているうちに、リアリティが増してきたものから実行に移したいと思います。